特集・コラム
キリストの12使徒の一人、聖ヤコブ(フランス名サン・ジャック、英国名セイントジェームス)の遺体が安置されているスペイン西端のガリシャ地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(カテドラル)にイギリス・北欧・ロシアを始めヨーロッパの各地から歩く巡礼の旅、それがこのエルカミーノ・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラです。幾つかのルートがあるのですが、私は世界遺産に登録されているフランスのピレネー山麓のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発するエル・カミーノ・フランセといわれる900kmのコースにトライしました。

因みにカミーノとはスペイン語で「道」のことです。狭い日本では考えられないことが沢山ありました。途中会ったペグリノ(巡礼)の中には、ノルウェーから8か月前にスタートし、この後もサンティアゴから折り返し三大巡礼地の残りのローマ・エルサレムをまわって二年後に戻る予定の人がいたり、パリから1600kmスイスから1500kmの人はざらという途方もないスケールの世界一の巡礼のコースです。毎年10万人以上のペレグリノが歩いており、レコンキスタ当時の12世紀には50万人のペレグリノがキリスト教復活のために歩いたそうですが、アジアからは年間300人程度、その殆ど韓国の方で、日本人は100人程だと思います。今回も途中韓国の方には20代の若い女性が多かったのですが、2〜30人に会いました。中には高校生も二人会いました。残念ながら日本人は私と同じ年金生活者の二人だけでした。

日本を出発したのが9月16日、成田からエールフランス機でパリへ、そしてフランスが誇る新幹線TGVでボルドー、サンジャン、バイヨンヌと3度も乗換えローカル列車でスタート地点。サンジャン・ピエ・ド・ポーに着いたのは日本を出てから36時間後でした。

駅を降り巡礼事務所を尋ね尋ね(勿論フランス語ですよ)、そこで初めて通行証なるクレデンシャル=日本の御朱印帖と同じ巡礼のパスポートみたいなもので、毎日泊まるレフェージセルベルゲ(巡礼宿)や教会・大学・バルでもらうスタンプ帖なのですが、これが最終的にはコンポステラーノといわれるサンティアゴでもらえる終了証に必要なわけで、実際私もパスポート・クレジットカードと同じようにいつも肌につけていました。巡礼事務所から早速アルベルゲに入ったのですが、同じ部屋にはオランダ・フランスと二組の夫婦と一緒という今になって思うと最高の待遇でした。15人のペレグリノと一緒に食事、スペイン語・デンマーク語・オランダ語・フランス語ともうチンプンカンプンでした。

いよいよ翌朝18日の朝、8時スタートしました。勿論私一人だけです。最初の5kmはアスファルト。ゆるい昇り道、前を歩くペレグリノやペレグリナをどんどん追い越しました。ところがその後一気に1500mのピレネーの山頂まで、岩や石ころやぬかるみ、水たまりと、雨はもちろん目も開けられない程の強風で、牛や馬、羊が彷徊している中を恐る恐る・・・・ところが確かに先程追い越した筈の中年老年のご婦人達にどんどん追い越され、気がついたら私一人? 何とか山頂に、さて下りはうっそうと繁る森が待っていました。道なんかないし、あるはずの貝マークも矢印もない。どうしようかと困っていると、後ろからフランスの50代の女性が来て、森をかき分けサッサと進む。私も遅れまいと後をついて行くと下りの岩場に出たのです。尋ねてみると「木の枝が折れてた方に進んだだけよ」ですって。我々農耕民族と違って狩猟民族はさすがと感心しました。

下りきるとフランスからスペインへのお国入り、国境線なんてわかりません。ただそれまでサリュー!ボンジョールの挨拶からオラーッ!ブエノ・デイアスに変わりました。エタパではその日はロンセユバジェスのアルベルゲに泊まるのですが、私は3km先のブルゲーテへ。そこにはある文豪ヘミングウェイが泊まったオステルがあるというのでとりあえず歩き、うまい具合にそのオステルを見つけ、恐る恐るティエネ・アビタシヨン・リエベ?と尋ねるとシー、そうウォークインで泊まれたんですよ。ここでヘミングェイが弾いたというピアノ、レストランのテーブル等にも座ってみました。

2日目から相変わらずの悪い道ばかり。ある時は山を越え、谷を越え、沼を渡り牛の糞を踏みながら何度も迷子になる毎日でしたがどんな小さな村にも、何百年の歴史をもつ教会があるのですね。アルベルゲに泊まってると、夜中にも一時間毎に鐘が鳴るのです。12時間には12回も、最初の頃は寝不足になりました。

ところでアルベルゲはドネーションから高くて5ユーロですが、管理人もいない野外に木のベッドだけというところもありました。通常木や金属でマットだけの二段ベッドで6人から多くて800人収容の設備。冷水シャワー、男女共用のトイレ、寝るときは毛布もないので全員寝袋で寝ます。2週間も過ぎると夜中は男性は勿論女性も下着1枚でトイレに行きますし、着替えも目の前でしたね。又、アルベルゲは2時に開きますので、せめて3時頃には着かないと、いい位置で下段のベッドが確保できません。着くと即洗濯です。乾かないときには翌日ザックにぶら下げながら歩きますが、後半には若い女性も下着やブラジャーをぶら下げて歩きます。マットが不潔なところもあり、私も御多分に洩れず、ダニか南京虫にかまれ、2日間半身発赤に悩みました。

牛の角で額にコブを作ったり、15kgの荷物を背負っているため、肩や腰の皮が剥げ血だらけになったり、マメの上にマメ、又野良犬にかみつかれたり迷子になって天を仰いだり、いやな経験もしましたが、今は逆に懐かしい思い出ですね。そう言えば、一度田舎道を歩いていると、100頭近い牛が道いっぱいになって前から来たんです。避けようがありません。あのときだけは本当に怖かったですね。思わず「もう牛肉なんて食べませんから!」って叫びました。またスペインはレストランは早くて夜の8時、普通は9時頃しか開きません。アルベルゲの門限が9時半のために、レストランでの夕食はほとんど不可能でしたが、昼食が4時頃まで営業していますので、中・夕食との兼食(?)でした。そしてシエスタが終わる夕方、町や村のスーパーを探し、そこでワインとパン・生ハム・チーズを買ってアルベルゲでの夕食にするのですが、ワインの安いこと!!なんとフルボトルで安いのは0.5ユーロ、フルボトル一本で70円ですよ!! 毎日2本飲みました。

スペインにはいくつかの世界遺産がありますが、私はエルカミーノ、ブルゴスの大聖堂(13〜15世紀)、そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラ(11〜13世紀)の3つの世界遺産をこの目で見てきました。サンティアゴについた翌日、100km先のフィステーラまでバスでいきましたが、このフィステーラは「地の果て」という意味で、コロンブスが1492年に新大陸を発見するまで、地球はここまでで、この先は永遠に海だと信じられていた場所で、ここでペレグリノは履いていた靴、着ていた服を焼いてしまいます。私も全部焼いてしまいました。そして翌日はペレグリノの最高の目的、ホロブレイロという世界一の大番炉に巡り合えればという夢を抱き、カテドラルのミサに出ました。なんと本当に夢にまでみたホロブレイロに遭遇したんですよ。泣きました。号泣でしたね。

ところで巡礼の最中、聖ヤコブが「信ずる者にいくつかの奇蹟を授ける」といわれていますが、実は私も三つの信じられないほどの奇蹟を体験しました。

一つ目は20日目だったと思います。田舎の教会のミサの最中、疲れから眠ってしまいました。すると、夢の中で誰かが私の頭に手を当て、「先を追うな、後ろを待て、杖にたよれ」とのお告げ。翌日からこのお告げを守り、楽になりました。

二つ目は、朝まだ暗い時に何本かの道があり、矢印が見つからない。どのみちを選べばいいのかと迷っていると、突然太陽の光が、矢印のマークで路面に映ったのです。これはちゃんと私はビデオに撮っています。おかげで助かりました。

三つ目はこれまた凄い!
最後にサンティアゴに着いて聖ヤコブの背中に接吻すると全ての罪が許されると言われ、私も1時間以上並んで待ち、とうとう背中を抱きしめました。すると、それまで痛かった肩や腰が楽になったのです。オスタルに戻り、裸になるとなんと血だらけだった傷跡がきれいになっているのです。今でもまったく跡は残っていません。本当の話です。


まだ興奮状態が続いていますが、来年はル・ピュイガ・アルルからの1500kmの道にトライしようと思っています。

El Camino de Santiago de Compostera
タイトル 「エルカミーノ デ サンティアゴを旅して」                    岡 万寿雄

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